忘れられない言葉
皆さんこんにちは!ともしび行政書士・社会福祉士事務所の黒田 正実です。
新規の仕事を頂いたりで少し油断していたらあっという間に6月に入っていました(;^_^A
久しぶりのブログ更新となりますが、ご容赦ください。
今回は、私が3年間住んだ高知県を離れ、実家のある横浜市に戻り、川崎市にある、知的障がい者の作業所に指導員として勤務した時のエピソードをお話したいと思います。
私が高知県の障がい者作業所でフルタイムボランティアとして障がいのあるメンバーと関わっていた時とは違い、今度は自分自身が「指導員」という立場で利用者(この施設では「仲間」と言ってました)と接することになったのです。
18歳以上の知的障がいのある「仲間」が自宅から通い、オリジナル商品としてのストールやハンカチの染め物作業、下請けとして、スパイクの中敷きの梱包作業などに取り組んでいました。
今回は「指導員」という立場なので、作業後に「仲間」と将棋や麻雀したり、ビール飲みながら悩みを聞いたり、そういうことはしづらくなりました。
そういう意味では、高知県の作業所時代はのびのび出来たなあ、などと思いながらも、地方と都会の作業所の比較と言う意味では、面白くもありました。
ただ、やっぱり作業自体は退屈だったなあ。
業者の下請けだと、どうしても簡単な単純作業の繰り返しになってしまい。「仲間」がやることにはどうしてもミスが出がちで、その修正や検品などに追われる毎日。
「自分は何をやってるんだろう?」
と疑問に思うこともしばしばでした。
指導員が面白くないと感じてやっている作業を、「仲間」が楽しいと思ってやるわけないよな、と今になって思います。
そんなある日のこと。作業所の「仲間」の一人に、養護学校を卒業して一年目のある女性がいました。
一見社交的で元気があって、いつも笑顔で明るいけれど、感情のコントロールが難しくて、突然泣き出したり、怒り出したり(感情失禁といいます)、
そんな彼女が、作業の途中、ミスを繰り返したことに腹を立て、途中でスパイクの中敷きを放り出して廊下の方に走り出し、その場にうずくまってしまいました。
その時、彼女を追いかけて、彼女に言ったある指導員の言葉
「みんな嫌なことも我慢して仕事しているのよ!それが社会人というものなの!甘えないで、早く作業に戻りなさい!」
・・・
その言葉を聞いた時、強烈な違和感を感じたのです。
確かに、この指導員さんの言ってることもわかります。
仕事をしていれば、嫌なことや思うようにいかないことなど、いくらでもあるでしょうし、
そうしたことに折り合いをつけながらやっていくのが社会人としては通常のことである事は、多くの人が共通認識としてもっていると思います。
しかし、ですね、
私たち健常者と言われている人たちには、職業選択の自由というものがあります。
仕事は、選ぶことが出来る。
ひるがえって、障がい者はどうでしょうか?
職業選択の自由というのは、もちろんあると、言えるでしょう。
建前上は。
でも、実際には、一般就労が出来る障がい者と、出来ない障がい者がいます。
一般就労が出来ない障がい者は、
作業所などの、いわゆる「福祉的就労」というものになるのですが、
作業所での仕事の選択肢などは、ごくごく限られています。
そこの作業が自分には合わないと思っても、他の仕事の選択肢を探すのは、非常に困難なのが現実です。
そんな中で、まるで合わない作業を「させられてる」ような、そしてこれからも選択肢がごく限られた中で、
作業し続けなければいけない、
そんな彼女をたまらなく不憫に感じたのです。
当時の私にその状況を変えていくだけの力はなく(今もあるわけではありません)
一通り泣いた後、うなだれて作業場に戻っていく彼女を
ただ見送るしかできませんでした。
後から声をかける位がせいぜいでした。
もっと、その人の障がいの特性や、個性に応じた仕事を提示することが出来たならば..
それは、簡単なことではないけれど、
今でもあの時の出来事は、
「忘れられない言葉」として
私の記憶に深く刻まれています。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。